“ニッポンの特産品作り” ~表があれば裏もある~
※今から8年前の話
師:「本多くん、いくつになった?」
私:「50ですけど」
師:「そろそろ故郷へ恩返しせんといけん歳じゃなあ」
私:「恩返し、ですか~」
恩返しせにゃならんほど恩受けて無いし…と内心。
言っちゃうけど実は我が故郷、岡山がそんなに好きでは無い。
私見ではあるが、岡山の県民性は、協調性が無い、頑張ってる人を妬む、出る杭は折れるまで叩くetc. 気候風土的には自然災害が少なく、食べ物は豊富で美味い。
隣近所と協調せずとも自分一人で何とか喰っていけることが仇となってるのは間違いない。
さて、上記の師とは水戸岡鋭治氏。
JR九州の〈ななつ星〉や〈或る列車〉のデザイナーであり同郷岡山出身。
彼の言う「恩返し」が以降の私に大きな影響を与えようとはそのとき気付くべくもなかった。
そうこうしている間に、岡山の物産館リニューアルや、県北は新見のワイナリー〈 domaine tetta 〉のブランディング、井原産さつまいもの商品開発案件が舞い込み、ユーザーやオーナーから直接謝意を伝えられる事も。
褒められたら煙突にも登るタイプである。この歳になるとディスられこそすれ、褒められる事など皆無。ルーティン仕事とは別の心地良さは麻薬的で、ズルズルと地域産品のブランディングやパッケージデザインにのめり込んで行く事となる。
田舎育ちのデザイナーにはぴったりの“ニッポンの特産品作り”フィールド、これで代理店のADに翻弄されなくて済む(^^)。
何事にも表があれば裏もある。その世界に深く入っていくに従い、闇の部分も見えてきた。
1次産業の自立を図ろうと国が画策した6次産業化プロジェクト。その集まりに何度か参加したのだが、集まるプランナーは、現役を引退したお小遣い稼ぎのデザイナー、伸び悩んでいる地方の広告代理店、そして商品開発コンサルタントと名乗る人達。また行政側も適材適所が判らないのでそこに丸投げ。作り手の事なんか誰も考えちゃいない。そもそも2、3回のアドバイスで“売れる商品”が出来るのなら、私はとうに左団扇になってて然るべきだ。
コンサルタント主導で作り出された商品は、作り手の意を反映する事なく、どの地域でも同じ顔をした“ご当地商品”が並ぶ事になる。
有名百貨店のバイヤーは「もうご当地味噌やジャムはいらんよ」と。
以来、そのような連中と帯同する事なく、自分の商売の為に自ら投資する、借金してでもやる!という志の高い生産者との巡り会い頼みの、何とも危ういスタンスの事務所経営となってしまった。
が、楽しい。相手が儲からなければこちらも成り立たない、という運命共同体みたいな仕事はスリリングでもある。
地方の生産現場において、デザイナーという人種は異物である。決してウエルカムでは無いのだ。上記のようにコンサルタント(彼らにとってはコンサルもデザイナーも一緒)に泣かされた経験がある人は多く、「東京から来た先生が無茶苦茶して帰ってしもうた」と。まずこの不信の壁を越えるところから始めなくてはならない。
なぜコンサルタントはそんなに嫌われるのか?
たぶんこうだろう。
「俺の土俵に上がって来い」と言わんばかりの姿勢。「教えを授けてやってる」という目線。
外資系企業のプロジェクトに関わりましただの、大手自動車メーカーにいました、など肩書きは立派で、そこで培ったノウハウには素晴らしいものがあると思う。
しかし、そのメソッドが地方の、とうちゃん&かあちゃんカンパニーに通用するのか。“カイゼン”なんて生産の現場では息をする如く当たり前のハナシ。
言うまでもなく地域産品の生命線は“多様化”である。
各々違った環境下で独自のモノ作りを行っているところに、○○メソッドという十把一絡げな指導が則するはずが無かろう。
自分の土俵から降り、彼らの土俵に入れて貰い、共に考えモノ作りをする。一緒に苗の一本も植えてみろってんだ。
でもね、こんな人達のハナシのほうがウケるという事実。
つい最近もこんな話があった。
商品企画・味作りから参画している茶屋で、生かりんとうなるものを開発。さてさて地元の商工会議所から派遣された商品開発コンサルタントのお出ましだ。
「ネーミングを変えろ」「甘すぎる!」などと好き勝手言い放って東京へお戻りに。
会議所の顔もあろうって事で無視も出来ず、甘さ控えめな試作品を作って店頭でテスト販売。結果、圧倒的に甘々な生かりんとうの勝ち。
彼らの敗因は「どこで」「誰に」の読み違いだろう。高級デパートでマダ~ム達に売るのとは訳が違うのだ。
かりんとうを食べようかって思うのは高齢者、だから敢えて柔らかさの“生”、ひねり無しのストレート表現で良しとした。
この地では食事の後に渋いお茶orコーヒー(これは意外でしょ)に合わせて甘い饅頭などをつまむのがデフォルトである。これを知らずしてランチェスター戦略で言うところの局地戦は戦えまい。
私の論としても「あまいものは甘く、しょっぱいものはしょっぱく」で、長生きするために美味しく思えないものを食う位なら“あ~美味かった…”で人生を終えたいタイプ。
共感してくれる人は必ず居る、との想いがニッチな市場では有利に働く。
一部のコンサルタントは、安いギャラ(営業活動と捉えているらしい)で、派遣された先でダメ出しを行い不安を煽り、じゃあどうすれば?と狼狽させて自分たちの土俵に引きずり込み、顧問契約を結ばせると聞く。
「引っかからなくて良かったね」とは後日譚であるが、もしも… と思う時、その責任は誰が取るんだろう。
生産者も賢くなろう。それは自分史に自信を持つことだ。
地方ならではの食材と食し方、それは“食文化”そのもの。「私達はこんな食べ方をしています」、それが成熟市場に紹介すべき情報であり、大手メーカー品には無い商品価値であり、愛すべき田舎者の強みなのだ。
“自分の生まれ育った土地に誇りを持つ”。
この姿勢で真摯にモノ作りすれば、他者の無責任な言動に左右される事は無い。
おしまい。
(記:本多英二)