情報の森コラム

いち、にぃ~のハイ!

[UD/ユーザビリティ] 2017.4.4

もう祖母が亡くなって20年以上になる。両親が働きに出ていたので、私は小さいころ大のおばあちゃん子だった。祖母は料理が上手で、冬になると今では見かけなくなった練炭火鉢を使い、時間をかけてコトコトと美味しい煮物や煮魚、おでんを作る。特に、お汁粉は大好きだった。80歳を超えるころまで家族全員の洗濯や掃除など、家の中の家事はすべてこなした。そんな祖母だが、私が生まれる前に患った白内障で目は全く見えなかった。今では、白内障は直る病気だが、昔はそうはいかなかったようだ。

学校から帰ると家の中は真っ暗で、練炭火鉢にかけたヤカンが奏でるシューシューという音と、ぼ~っとついたテレビから相撲中継の大きな歓声が聞こえた。暗闇の中、手探りで天井からぶら下がる蛍光灯のスイッチの紐を探しながら「ただいま」というと、練炭火鉢の方から「おかえり」と声がした。
不思議なことに祖母は目が見えなくても、お金を間違えることがなかった。1,000円札、5,000円札と1万円。100円玉と10円玉、5円と50円。どうして間違えないのか聞いたことがある。「ほらっ、こうやって重ねると大きさが違うから、小さい方が1,000円」。目をつむって真似してみたが、わからない。「おばあちゃんは凄いなぁ。ぜんぜんわからないや」。その時、祖母は少し自慢気に微笑んだ。

そんなわけで、家の中の祖母にハンディーがあるなんて一度も思ったことがない。
しかし、外は全く違った。
祖父のお墓参り。おすそ分けを持ってご近所へ。お味噌がなくなると隣町の工場へ。歩いて行けるところは、いつも私が手を引いて出かけた。左腕を少し曲げて差し出すと、その腕を祖母がしがみつくように掴んで歩くのがいつものパターン。歩く速さは、いつもの1/3ほど。信号が変わりそうになって走って渡る、なんてことはありえない。信号がまた青に変わるまでじっと待つ。「公園のつつじが満開だよ」、「お地蔵さんの前だけどお参りしていく?」そんな会話をしながらゆっくりと歩く。天気がいいと会話も弾む。
「おばあちゃん、少し先に段があるよ。大きくまたいで。いち、にぃ~のハイ!」、「おばあちゃん、階段登るよ。いち、にぃ~のハイ!」、「そろそろ階段が終わる。いち、にぃ~のハイ!」。そう、祖母とのお出かけは、3歩目を大きくまたぐ「いち、にぃ~のハイ!」が合言葉だった。その時は、不安からか普段より腕を強く握られた。

大人になって祖母も亡くなり、そんな思い出もすっかり忘れ、段差も階段も気にせずに毎日電車に乗って会社に通い、細い路地裏の繁華街をクネクネと飲み歩く。それが日常になった。
しかし、最近、朝のホームで白い杖の女性を見かけた。その女性は、ホームに続く黄色い点字ブロックの一本道をトントンと杖を巧みに使って歩く。今まで全く気にしていなかったが、よく見ると駅のホームや階段には点字ブロックが張り巡らされ、目の不自由な人たちもひとりで安心して歩けるようになっていた。しばらくすると突然、女性は黄色い道から外れて歩き出した。

「あっ!」どうしよう。声をかけるべきか、それとも本当に困った時に助けるべきか?
ただ茫然と見ていると、女性は、不安気ではあるが、杖をトントンさせてホームの後ろの方に歩いて行く。いつも乗る車両が決まっているようだ。
小心者なのか薄情者か、声をかけるタイミングがわからない。段差や階段が危ないことは祖母との外出で知っている。祖母が不安で強く握りしめた腕の痛さも知っている。だからこそ、本当のユニバーサル・デザインは、点字ブロックや立派な手すりよりも「何かお手伝いしましょうか?」と一声かけることなのだ。

今度見かけたら、勇気を出して声をかけてみよう。「いち、にぃ~のハイ!」がまた役に立つに違いない。

(記:加藤憲司)

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