情報の森コラム

風呂敷 まさにサステナブル!

[エコ/サステナビリティ] 2023.8.29

SDGsの潮流の中、風呂敷が見直される機運があると聞く。かさばらない布切れなので、鞄やバッグに常時しのばせていることはあるだろうが、毎日書類や荷物を包んで風呂敷を携行している人は、さすがに多くないと思う。そこで自身の経験から、風呂敷がカバン代わりという日々を報告したい。

今から50年程前、私は広島県のとある中学・高校に通っていたが、その6年間、雨の日も風の日も、風呂敷で通学していた。私だけでなく、その学校の生徒全員が風呂敷だった。


1960年代の通学風景

まずは、そんな私の母校について簡単に紹介しておこう。
広島学院中学校・高等学校は、カトリック男子修道会のイエズス会が母体となり、1956年に、広島市古江(現・西区古江)の丘の上に設立された中高一貫の男子校だ。同時代の他校に比べても服装や髪型は厳しく指導されていた様に思う。その毎日に風呂敷は必携だった。正確に調べた訳では無いが、日本で一番最近まで風呂敷通学していた学校だと自負している。(1984年4月に風呂敷自由化が発表された)
制鞄ならぬ制風呂敷は、約80センチ四方の濃紺の厚手の木綿で出来た物で、一隅に帯状の紐が縫いつけられていた。


80センチ四方の濃紺の厚手の木綿生地。 一隅に紐が縫いつけられているのが特徴。(広島学院の中間校長から届いた復刻版)

まず、重ねた教科書の横幅方向を包んだ後、紐で結わえて、次に、縦方向に強めに真結びして完成という手順だ。最初は、中々上手く出来なくて、通学途上で包みが崩壊し、道路に広げて結び直すこともあった。
紐はいつの間にか切れて、高校生になる頃には、安全ピンがその代わりとなった。


1.本の横幅方向を包み、紐を巻いて仮止め(左)/2.縦方向に、きつめに真結びで完成(右)

大きな風呂敷を抱えているのは、ほぼ間違いなく中学1年生。まだまだ真面目な彼らは、その日の時間割にある全ての科目の教科書と弁当を風呂敷に包んでいた。B5サイズの教科書だけでなくA4位の大判の     “Progress in English”や地図帳なども一緒に包むのだから、結構かさばった。
それが、上級生になるにつれて、分冊(要は、教科書を分解)などの工夫を凝らし、セカンドバッグもフル活用し、徐々に風呂敷はコンパクトになっていった。授業のない試験期間中など、消しゴムだけを包んだ風呂敷を腕に巻いて、楽をしたこともあった。それでも、風呂敷携行は必須だった。
不携行で先生に叱られることの多かったY君は、対策として、ダンボールの小片を詰めたミニチュアの風呂敷を自作し、スポーツバッグにキーホルダーの様に結び付けた。それ位、風呂敷は絶対だった。

そのように、中高の多感な時期を、風呂敷と一緒に歩んできた我々なのだが、実は、最も根本的な疑問を持ち続けたまま卒業し、いまだ答えを得ていないことに気がつく。一体、誰が何の目的で、風呂敷を採用したのかという問いだ。当時の生徒手帳には、制服や制帽の決まりはかなり細かく書かれているが、鞄の記述は一無い。

同期の仲間たちに聞いてもはっきりした答えが得られないので、思い切って母校のウェブサイトの問い合わせ窓口に頼ることにした。
「突然の問い合わせをお許し下さい。私は、貴校の卒業生の黒瀬と申します(中略)
1    誰が何の目的で風呂敷の採用を決めたのでしょうか?
2    今でも風呂敷を購入することは可能なのでしょうか?
3    コラムに掲載可能な風呂敷登校生徒の写真をいただけませんか?(中略)」

何と、校長先生自らの回答が届き、
1  不明
2  今はもう作っていないので残念ながら買えない
3  地元の新聞や、学校の刊行物などで紹介された写真のコピーが添付されていた。
お役に立てずに申し訳ないとの言葉まで添えられており恐縮の至りだった。

とは言え、“校長先生でも知らない”となると疑問は膨らむばかり・・
そのことを同期の連中に伝えると、S君からこんな過激な提案が、“「フランシスコ・ザビエルが風呂敷に日本人の良心を見出し、日本のイエズス会士に使用を勧めた」と話をでっち上げて伝説を作ろうぜ!”、事実を重んじるべき元裁判官とは思えない発言に驚いた。
また、スキーを楽しみ、首都圏在住の同窓生の美術館・博物館巡りを主催する、同期で最もアクティブなM君からは、「今でもあの風呂敷を大切に使っているので、写真を送るよ。紐は無いけどね」という嬉しい連絡も。

そして再び、校長先生からメールが届いた。わざわざ、1期生の大先輩に問い合わせていただいた様で、そこには驚くべき事実が語られていた。

「1期から6期くらいまでは、教科書等は学校に置いていた。広島学院初代校長でドイツ人のシュワイツェル先生は“勉強は学校で、家に帰ったら家の手伝いをすること”を奨励していた。よって登下校は弁当程度の持ち物でよく、そのくらいの荷物であればわざわざ高価な学生鞄を買う必要は無く風呂敷で十分」との判断だったのである。

遂に、謎が解けた。
我々14期生は直接その薫陶に接する機会は無かったが、初代シュワイツェル校長の言葉の持つ温もりは伝わってくる。もしかすると、若かったあの頃に聞くより、親の立場となった今聞くからこそ、響いてくるのかも知れない。

また校長先生のメールには、2人の生徒が、風呂敷を手に微笑む写真が添えられていた。
“現在の高校3年生の中に2名風呂敷登校をしている生徒がいます。創立50周年記念品に復刻版の風呂敷を作りましたが、彼らはそれを入学時に記念品として受け取った最後の学年です。”とのコメント付きで。


1960年(左)/ 2023年(右)

戦後10年余り、未だ原爆の傷跡が残る広島の片隅の学校で、弁当の温もりを包む袋としてスタートした風呂敷が、昭和の高度成長期には教科書を運ぶバッグとなり、平成を越えて令和の時代に、若者達の自由な発想で再評価されたのだ。
まさに、Sustainable!

M君が今も愛用する50年物の風呂敷の写真を紹介して、拙コラムを結びたい。


50年物、Vintageの風格(左)/ 75センチ四方(中)/ さすがに四隅は消耗が(右)

突然の問い合わせにも関わらず、親切にご協力いただいた広島学院中間校長先生と、
色々とアドバイスをくれた竹本君はじめ14期の仲間達に心からの感謝を込めて

(記:黒瀬克也)

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